「なぜ、それが好きなの?」 「それをやって、何の意味があるの?」
私たちは、幼い頃からこうした問いにさらされて生きています。
特に、摂食障害やトラウマを抱え、周囲の目や「正しさ」を意識して生きてきた方にとって、あらゆる行動には「納得感のある理由」や「目に見える成果」が必要だという思い込みが強く染み付いているかもしれません。
しかし、回復の道のりにおいて、あなたを芯から救ってくれるのは、論理的な理由でも、他人を納得させる説明でもありません。
「理由はわからないけれど、なんだかこれが好き」
「理屈抜きに、これに触れているとホッとする」
そんな、ささやかで純粋な「好き」という感覚(感性)です。
前回の記事では、回復の土台となる「安全感」について解説しました。

今回は、その土台の上に、自分自身を「安心できる拠点(セキュア・ベース)」へと育てていく方法についてお話しします。
「理由のない好き」を大切にすることは、単なる趣味の範疇を超え、あなたの命を支える強力な力になるのです。
「理由のない好き」は、誰にも侵されない心の防波堤
摂食障害やトラウマという経験は、恐ろしいことに「自分とは何者か」という実感――自己同一性を、静かに、しかし確実に奪っていくことがあります。
「私はこれから、どうなってしまうんだろう」
「私の人生は、ずっとこの苦しさの繰り返しなのかな」
そんなふうに、病気や過去の記憶が「自分という存在」のすべてを占領しようとする瞬間があります。
そんな嵐のような日々の中で、理屈抜きの「好き」は、あなたを現実の世界に繋ぎ止める「アンカー(錨)」になります。
「変わらない私」との再会
例えば、あなたが幼い頃から、なぜか惹かれ続けている特定の青色があったとします。
あるいは、どんなに心身がつらい状態でも、このタオルの手触りだけは心地よいと感じる、といったことがあるかもしれません。
その感覚は、
どんな状態にあっても、
どんな記憶を抱えていても、
他者や病気に左右されずに残り続ける、自分の内側の感覚です。
「これを好きだと感じる私は、まだここにいる」
「少なくともこの感覚までは、病気に支配されていない」
そう確認できる瞬間は、回復の途上で自分を現実に引き戻す、確かな手がかりになります。
それは前向きな気分や希望というよりも、「自分が今ここにいる」と確かめられる感覚です。
このような、誰にも侵されない感覚を見つけていくことが、
自分自身の中に『安心できる拠点(セキュア・ベース)』を築いていく、最初の一歩になります。
「理由のない好き」が持つ、3つの回復エネルギー
「好き」という感情は、心にどのような良い影響を及ぼすのでしょうか。回復という視点から、その3つの強力なパワーを解き明かします。
① 評価社会から、いったん距離を取る
摂食障害の回復を阻む大きな壁の一つに、「数字による評価」があります。
体重、カロリー、服のサイズ、そして他人からの「痩せたね」「元気になったね」という言葉。
これらはすべて、他人の物差しによる評価です。
しかし、「理由はないけど好き」という感覚には、点数もランクもありません。
「この匂いが好き」という事実に、正解も不正解もありません。
この瞬間、あなたは「評価される側」から、「自分の感覚を確かめる側」へと、ほんの一歩立ち位置を変えます。誰の許可もいらず、説明もいらない「好き」を大切にすることは、条件付きの自己肯定感から少し距離を取るための、静かで確かな練習です。
それは、『自分という軸(拠点)』を取り戻していく過程の、最初の足がかりになります。
② 麻痺した心への「優しいノック」
トラウマや摂食障害を抱えると、心は自分を守るために、喜怒哀楽のスイッチをオフにしてしまうことがあります。これを「感情の麻痺」や「アレキシサイミア(失感情症)」と呼びます。

いきなり「自分の怒りを感じよう」「悲しみと向き合おう」とするのは、麻痺した心には刺激が強すぎます。しかし、「この猫の動画は、なんだか見ていられる」「このハーブティーの湯気は、少しだけ心地よい」といった微細な「快」の感覚であれば、心は拒絶反応を起こさずに受け入れることができます。
「好き」は、凍りついた心を無理やり変えようとするのではなく、外側からそっと温めながら、感覚が戻るのを待つための関わり方です。
そうした小さな感覚の積み重ねによって、心は少しずつ、「自分にとって安全な場所」として感じられるようになっていきます。
③ 脳への「安全信号」の送信
前回の記事で触れた通り、神経系が「安全だ」と感じられる状態を重ねていくことが、回復の土台になります。好きなものに触れたり、眺めたりしているとき、私たちの脳では、安心感や落ち着きに関わる神経の働きが少しずつ促されます。
「理由のない好き」に没頭している時間は、脳にとって「今は急がなくていい」「今は身構えなくていい」と伝わる時間です。こうした時間が積み重なることで、衝動が和らいだり、心身が落ち着きやすくなったりする土台が育っていきます。
このような「安全だと感じられる体験」を重ねていくことが、
自分自身の中に『安心できる拠点(セキュア・ベース)』を育てていくための、大切なエネルギーになります。
実践:自分自身を「安心できる拠点(セキュア・ベース)」にする3ステップ
「好きなものが思い浮かばない」という方も大丈夫です。
それは感性がなくなったのではなく、ただ「休止モード」になっているだけ。
小さなステップで、ゆっくりと感覚を取り戻していきましょう。
ステップ1:概念ではなく「感覚」から探す
「音楽が好き」「読書が好き」という大きな言葉でなくても構いません。
もっと細かく、五感の断片を探してみてください。
- 触覚: このシーツのひんやりした感じ、使い込んだノートの紙質。
- 視覚: 夕暮れ時の空のグラデーション、特定の文房具のフォルム。
- 聴覚: 遠くで聞こえる電車の音、雨が窓を叩く規則的なリズム。
- 嗅覚: 雨上がりの土の匂い、古本の独特な香り。
「大好き」でなくていいのです。「なんとなく、嫌いじゃない」「少しだけ気にならない」といった感覚で十分なのです。それを「大切にしなければ」と思わなくても、気づくだけで構いません。
ステップ2:日常に「好きの伏線」を張る
見つけた小さな「好き」を、生活の中にそっと忍び込ませます。
- バッグの中に、触ると落ち着く小さな石や布を入れておく。
- スマートフォンの待ち受けを、自分だけが意味を知っている「心惹かれる画像」にする。
- 部屋の隅に、ただ眺めるだけでいい置物を置く。
これらは、あなたが不安やパニックに襲われそうになった時に、瞬時に自分を現実へと繋ぎ止める現実に戻るきっかけになります。
ステップ3:理由を説明しない「場所」を守る
もし誰かに「どうしてそれがいいの?」と聞かれたら、「さあ、理由はわからないけれど、私にとっては特別なんだ」とだけ答えれば十分です。
理由を説明しようとした途端、その「好き」は他人に理解されるための「言葉」になり、あなたの心から少し離れてしまいます。「理由がないこと」は、その感覚があなた自身の内側から生まれてきたものである、ひとつのサインです。
そしてそれが、誰にも侵されない『自分だけの拠点』を形づくる土台になっていきます。
自分だけの「拠点」があるから、外の世界と向き合える
摂食障害やトラウマの回復という道のりは、ときに孤独で、正解のない中を手探りで進むように感じられるかもしれません。専門家の言葉や、周囲の励ましさえも、受け取る余裕がない日があるでしょう。
そんなとき、思い出してほしいことがあります。
あなたの心の奥にある「理由のない好き」という感覚は、評価や説明から離れたところで、静かに残り続けています。
回復とは、単に症状がなくなることだけを指すのではありません。
自分の感覚を完全に信じられなくても、「これは嫌いじゃないかもしれない」と感じられる瞬間を、手放さずにいられるようになること。安心してこの世界に居られる時間が、少しずつ増えていくことです。
体の状態が変わったり、過去の記憶に心が引き戻されたりする日があっても、
あなたが「これをいいな」と感じるその瞬間、あなたは自分の感覚と再びつながっています。
その小さな実感の積み重ねが、揺れながらも戻ってこられる心の土台を形づくっていきます。
「理由はないけど好き」を一つずつ増やしていくことは、世間の正解ではなく、あなた自身の正解で人生を埋めていく作業です。最初は何も感じなくても大丈夫。その小さな「あ、いいかも」という芽を大切に育てるあなたを、私は応援しています。
立派な回復を目指す必要はありません。
今日という日をやり過ごすために、お気に入りの色を選ぶ、心地よい香りに気づく。
その小さな行為を、「今の自分にできたこと」として、そっと認めてあげてください。
あなたの世界が、理由のない「好き」で少しずつ満たされていくことを、願っています。
もし「好きなものを見つけたいけれど、どうしても感覚が鈍っている」と感じるときは、まず身体の「安全感」を整えることから始めてみてください。
土台が安定してくると、感覚は努力しなくても、少しずつ戻ってきます。

もし、今あなたの頭の中に、ふと「小さな好き」が浮かんだとしたら、それに少しの間だけでも意識を向けてみてくださいね。
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