『ハゴロモ』を読み返して──時の流れをおそれずに

よしもとばななさんの『ハゴロモ』を久しぶりに読み返しました。
読みながら、
「喪失を抱えたまま生きていくこと」や、
「完全に癒えなくても、人は暮らしていけること」
について、静かに考えていました。
そして、
日常の中には、
小さな救いがちゃんと存在しているということも。
苦しさの中にいると、私たちはつい、
「早く元気にならなきゃ」
「前向きにならなきゃ」
「ちゃんと変わらなきゃ」
と思ってしまうことがあります。
カウンセリングの中でも、
「もう気にしないようにしたいんです」
「早く乗り越えたいです」
という言葉を聞くことがあります。
もちろん、苦しみが少しでも軽くなってほしいと思います。
でも、人の心は、そんなに一直線には変わっていかないものでもあって、
揺れたり、戻ったり、立ち止まったりしながら、少しずつ自分の感覚を取り戻していく。
『ハゴロモ』には、そういう時間がとても静かに流れているように感じました。

長い間、不倫という閉じた関係の中で、どこか「半分透けた幽霊」のように生きてきたと振り返る主人公のほたる。
失恋をきっかけに、自分の傷つきや孤独と向き合いながら、少しずつ自分自身の人生へ戻っていこうとする姿が描かれていました。
その感覚は、他人の期待や関係性の中で、いつの間にか「自分」がわからなくなっていた人たちとも、どこか重なるように感じました。
特に心に残った場面があります。
作中でほたるは、みつるという青年とその母親に出会います。
事故による夫の死とその状況に”向き合いすぎ”るくらい、向き合っているその母親に対して、ほたるがかける、
「どうか、ゆっくりと時間をかけてくださいね。私も、お手伝いできることはしますから。」
という言葉。
そして後半に出てくる、
私は、時間をかけて、自分がちゃんと流れ着くようなところへ行こう。
そのためには、もう少し時間をかけなくては、と思った。みつるくんのお母さんのように、時の流れをおそれずに、もう充分だと思えるところまで。
という文章。
時の流れや、川の流れのようなものに逆らいすぎず、それでも自分の感覚を置き去りにせずに、自分のタイミングで、自分が落ち着ける場所へ流れ着いていく。
そんな回復のあり方もあるのかもしれない、と感じました。

傷は“消える”というより、少しずつ人生に馴染んでいくものなのかもしれない、と改めて思います。
もちろん、傷が完全になくなるわけではないし、痛みを感じなくなるわけでもありません。
それでも、その痛みだけに飲み込まれない時間が、少しずつ増えていくことはあるのかもしれません。
誰かとご飯を食べたり、笑ったり、季節の空気を感じたりしながら、人は生きていくことができる。
それは、「克服した」というより、“抱えながら暮らしていけるようになる”ということに近いのかもしれません。

そして作品の中には、無理に踏み込みすぎない距離感のようなものも流れていました。
ずっと励まし続けなくても、全部を理解できなくても、ただ同じ空間にいられること。
そういう関わりが、ふと安心につながることがあります。
人との距離が近すぎると苦しくなってしまう人にとって、「侵食されないやさしさ」は、とても大切なものなのだと思います。
また、作品の中には、大きな出来事ではなくても、日常の中にある小さな救いが丁寧に描かれていました。
おいしいものを食べること。
風を感じること。
何気ない会話。
静かな時間。
そういうものが、「ここにいていい」という感覚につながっていくことがあります。

回復というと、何かを完全に消し去ることのように思われることもあります。
「以前のように戻ること」を思い浮かべる人もいるかもしれません。
でも本当は、傷や喪失を抱えたままでも、生きられる瞬間が少しずつ増えていくことなのかもしれません。
回復だけではなく、人生そのものも、そんなふうに少しずつ自分の場所へ向かっていくものなのかもしれない。
『ハゴロモ』を読み返しながら、そんなことを静かに考えていました。

上畠 真紀
公認心理師、精神保健福祉士
経験
18年以上のカウンセリング経験(精神科・心療内科)
専門分野
摂食障害、気分障害、トラウマ、対人関係