拒食症の家族はどう関わればいい?──「助けてほしい。でも助けられると苦しい」その理由

「先生、昨日は『そばにいて』って言われたので、隣に座っていたんです。」

そう話してくださったお母さんは、少し困ったように笑っていらっしゃいました。

「そうしたら、『見張られてるみたいだから、あっちに行って』って言われて。」

言われた通りに部屋を出ると、今度は違う言葉が返ってきたそうです。

「どうして一人にするの、って泣かれてしまって……。」

お母さんの表情には笑いが浮かんでいましたが、その奥には、どうしていいかわからない戸惑いがにじんでいるように見えました。

「そばにいれば見張られていると言われる。離れれば一人にされたと言われる。私は、一体何をしたらいいんでしょうか。」

これは、決して一つのご家族だけのお話ではありません。

18年以上、摂食障害のカウンセリングに携わる中で、私はこれによく似た戸惑いを、本当に多くのご家族から伺ってきました。毎回同じ関わり方でうまくいくということは、まずありません。昨日は安心できた言葉が、今日は傷つく言葉になっていることもあります。

だから私は、「正しい言葉」を探すことよりも、「今日はどんな気持ちでこの言葉を受け取っているのだろう」と、ご本人やご家族と一緒に考えることを大切にしています。

ご本人も苦しんでいます。そして、その隣で支えるご家族もまた、「何が正解なのかわからない」という苦しさの中にいます。

この記事では、特に拒食症(神経性やせ症)のご家族との関わりを中心にお話ししています。ただ、「助けてほしい。でも助けられることが苦しい」という葛藤は、過食症や過食嘔吐など、他の摂食障害でも共通してみられることがあります。それぞれの特徴については、別の記事でも詳しくお伝えしたいと思います。

摂食障害の支援が難しいのは、「助けてほしい」という気持ちと、「助けられることが苦しい」という気持ちが、同時に存在することがあるからです。

一見すると矛盾しているように思えるかもしれません。でも、実際にお話を伺っていると、この二つはどちらかが本当で、どちらかが嘘というわけではありません。どちらも、その人にとって本当の気持ちなのです。

この記事を書いた人

上畠 真紀
公認心理師、精神保健福祉士

経験
18年以上のカウンセリング経験(精神科・心療内科)
専門分野
摂食障害、気分障害、トラウマ、対人関係

目次

「助けてほしい」のに、助けられることがつらい理由

摂食障害の方の多くは、誰よりも「一人で頑張ろう」としてきた方です。

人に迷惑をかけないように。期待に応えられるように。弱音を吐かないように。

そうやって自分を励ましながら、長い時間を過ごしてきた方も少なくありません。

だからこそ、本当は苦しくても、「助けてください」と言うこと自体が、とても勇気のいることになります。

それでも限界まで頑張って、「助けて」と伝えた。けれど、実際に助けられる場面になると、別の苦しさが顔を出します。

「こんなことも一人でできない。」
「迷惑をかけてしまった。」
「弱い人間だと思われる。」
「また心配をかけてしまう。」

助けてもらうことが、「自分には価値がない」という感覚につながってしまうことがあるのです。

その姿だけを見ると気まぐれに映るかもしれません。けれど、その内側では、「安心したい」という気持ちと、「傷つきたくない」という気持ちが、同時に揺れていることがあります。その「傷つきたくない」の中身は、まさに先ほど挙げた「情けない」「迷惑をかけている」という感覚そのもので、助けてもらった瞬間に、それが一気に押し寄せてくることがあるのです。

ですから、助けを求めながら、その手を振り払ってしまう。そばにいてほしいと思いながら、「放っておいて」と言ってしまう。

私は、この葛藤そのものを否定せずに一緒に見つめることが、とても大切だと感じています。

家族もまた、「助けたい。でもどうしたらいいかわからない」と苦しんでいる

実は、この「相反する気持ち」は、ご本人だけのものではありません。ご家族にも、よく似た葛藤があります。

少しでも元気になってほしい。何か力になりたい。その気持ちで、食事を作ったり、病院を探したり、本を読んだり、インターネットで情報を調べたりします。

けれど、良かれと思ってしたことが、うまくいかない。「今日はこれなら食べられるかもしれない」と思って準備した食事を拒否される。勇気を出して声をかけても、「そんなこと言わないで」と返ってくる。

そのたびに、「私の関わり方が悪いのだろうか」「余計なことをしたのかもしれない」と、自分を責めるようになっていきます。

そして今度は、「助けたい」という気持ちと、「もう何をしたらいいのかわからない」という気持ちが同時に生まれます。

つまり、ご本人も、ご家族も、お互いに矛盾した気持ちを抱えながら、それでも相手を思っているのです。

このことに気づくと、「どちらが悪い」という見方ではなく、「どちらも苦しい中で頑張っている」という見方が少しずつできるようになります。臨床の場でご家族とお話ししていると、この視点の転換だけで、少し肩の力が抜けたような表情になる方を、私は何度も見てきました。

「良くなってほしい」という愛情が、すれ違いを生むことがある

ご家族が一番恐れているのは、「このまま悪化してしまうのではないか」という不安です。

体重が減っていく。食べられない日が続く。笑顔が少なくなる。

そんな姿を見ていれば、「何とかしたい」と思うのは、とても自然なことです。だから、「あと一口だけ食べよう」「病院へ行こう」「少し休んだらどう?」という言葉が増えていきます。

大切な人を失いたくないからでもありますし、「私が何とかしなければ」「私の対応が悪ければ、また責められる」という、家族自身へのプレッシャーから動いていることもあります。

周りから「もっとこうしてあげたら」と言われたり、自分自身で「私がしっかりしないと」と感じたりする中で、知らず知らずのうちに、追い詰められるような気持ちで声をかけていることも少なくありません。

一方で、ご本人は、その言葉を「心配してくれている」と受け取れる日もあれば、「自分は管理されている」「何もできない人だと思われている」と感じてしまう日もあります。同じ言葉でも、その日の心の状態によって受け取り方は大きく変わります。

だから、摂食障害の支援では、「正しい言葉」を探すこと以上に、「今、この人はどんな気持ちでいるのだろう」と立ち止まることが大切なのだと思います。

「正しい接し方」を探し続けてしまう家族へ

「では、家族はどう関わればいいのでしょうか。」

これは、ご家族から本当によくいただくご質問です。けれど、私はこの質問に対して、「これが正解です」とお伝えすることはありません。

それは、答えをはぐらかしたいからではありません。摂食障害は、その日の体調や心の状態によって、同じ言葉でも受け取り方が大きく変わることがあるからです。

昨日は安心できた言葉が、今日は責められているように感じることもあります。昨日は一緒に食事をしてくれたのに、今日は同じ食卓につくことすら苦しいこともあります。

だからこそ、「この言い方をすればうまくいく」「この接し方なら回復する」という万能な方法はありません。

それでも、ご家族は答えを探し続けます。そうした姿を見ていると、こんなふうに感じることがあります。ご家族が探しているのは、「接し方」そのものではなく、「これで大丈夫なんだ」と安心できる何かではないだろうか、と。

もし、「この一言を伝えれば回復します」という答えがあるなら、どれほど気持ちが楽になるでしょう。でも、残念ながら現実はそう単純ではありません。だからこそ、ご家族は「また間違えてしまった」と自分を責めてしまいます。

大切なのは、「正しい対応」よりも「関係」を守ること

カウンセリングの中では、ご家族にこんなお話をすることがあります。

「何を言うかも大切ですが、それ以上に『この人は自分を理解しようとしてくれている』と感じられることが大切なんです。」

摂食障害になると、食事や体重、治療のことが生活の中心になっていきます。家族も心配だからこそ、「今日は食べられた?」「病院はどうする?」「少し休んだら?」と声をかけます。

もちろん、それは愛情です。けれど、ご本人にとっては、一日に何度も症状について話題にされることで、「私は病気としてしか見られていない」と感じてしまうことがあります。

だからこそ、ときには症状から少し離れた、何気ない時間も大切です。そうした時間が、少しずつ心の緊張をゆるめていくことがあります。

ある娘さんとお母さんのやりとりを、私は今でも覚えています。

娘「ほっといて。」
母「ごめんね。」

翌日。

娘「昨日、来てくれなかったね。」

たったこれだけの会話ですが、この短いやりとりの中に、摂食障害を抱える方とそのご家族の関係の難しさが、そのまま表れているように思います。

このお母さんは、「ごめんね」と言った自分を、後になって何度も責めていました。

けれど、娘さんが「来てくれなかったね」と伝えてくれたこと自体に、何かを感じます。それが何を意味するのかを、簡単に一つの答えにしてしまわないようにしています。ただ、そこに何かがある、ということだけは、確かに感じています。

家族も、自分を責め続けなくていい

もう一つ、お伝えしたいことがあります。それは、ご家族にも限界があるということです。

摂食障害の支援は、短距離走ではありません。何か月、何年と続くこともあります。

その間、ご家族は不安を抱え続けます。

「このまま悪化したらどうしよう。」
「もっと違う言い方をしていれば。」
「私のせいではないだろうか。」

そんな思いを抱えながら生活している方も少なくありません。

先ほどお話ししたように、ご家族の言葉や関わりの背景には、「大切な人を失いたくない」という気持ちだけでなく、「私がしっかりしなければ」「また責められるのではないか」というプレッシャーが隠れていることがあります。

配偶者から、あるいは他の家族から、「もっとこうしてあげればいいのに」と言われる。ご本人からも、「どうしてわかってくれないの」と言われる。誰からも「今のままでは足りない」と言われているように感じてしまう。そうした中で過ごしているご家族と、これまで何度も出会ってきました。

でも、本当に苦しくなっているのは、ご本人だけではありません。支えるご家族もまた、孤独になりやすい存在です。責められている気持ちを抱えたまま、それでも「何とかしなければ」と踏ん張り続けている方が、たくさんいらっしゃいます。

だから私は、ご家族にも「一人で抱え込まなくていい」とお伝えしています。それは、頑張らなくていいということではなく、その頑張りを、一人だけで背負わなくてもいいということです。ご本人を支えるためには、まず家族が倒れないことも大切だからです。

矛盾しているのではなく、「両方とも本当」

この記事の冒頭でお伝えした、「助けてほしい。でも、助けられると苦しい。」という言葉に戻りたいと思います。

この二つは、矛盾しているように見えるかもしれません。でも、私は臨床の中で、この二つが同時に存在する場面を何度も見てきました。

「一人では苦しい。」「でも頼るのは怖い。」
「わかってほしい。」「でも近づかれると苦しい。」

そのどちらも、その人にとっては本当の気持ちです。

家族も同じです。

「助けたい。」「でも、もうどうしたらいいかわからない。」

この二つは両立していいのです。どちらかを否定する必要はありません。

数週間後、冒頭のお母さんは、こんなことを話してくださいました。

「前みたいに正解を探すことは減りました。娘の言葉の裏にある気持ちを考える余裕が少しできた気がします。」

もちろん、今でも迷うことはあるそうです。でも、その迷いを一人で抱えなくなったことが、大きな変化だったように感じました。

最後に

摂食障害の支援では、「正しい答え」を探したくなります。

でも、本当に大切なのは、完璧な対応を目指すことではなく、「この人は今、どんな気持ちでいるのだろう」と想像し続けることなのかもしれません。

そして同じように、「私は今、どんな気持ちなのだろう」と、ご自身の心にも目を向けてみてください。

支援とは、相手の苦しさだけを抱えることではありません。支える人自身も大切にしながら、一緒に揺れ、一緒に考えていく営みです。

もし今、「何が正解かわからない」と感じているなら、それは決してあなただけではありません。ご本人も、ご家族も、それぞれが精一杯の中で今日を過ごしています。

だからこそ、一人で答えを探し続けるのではなく、必要なときには専門家と一緒に考えていくことも、大切な支援の一つだと私は考えています。

体験カウンセリング(オンライン)

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
目次