ちゃんと生きてきたのに、自分がわからない──役割を生き続けた人に起きること

「ちゃんと生きてきたはずなのに、なぜか苦しい」

そんな感覚を抱えることがあります。

周囲からは問題なく見えている。人に合わせることもできる。でもどこかずっと気が張っていて、一人になると空っぽな感じがする。何が好きなのか、本当は何を感じているのか、よくわからない。

それは弱いからではありません。これまで生きていくために、必要なことを一生懸命やってきた結果なのかもしれません。

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「安心したい」が、自分を苦しめることがある

夫を支えようとして、必死に働いてきた。家のことも将来のことも不安で、少しでも安心したくて、節約を考え、家事のやり方も気になるようになった。気づけば、洗濯物のたたみ方や食器の置き方にまで口を出していた。

本当は、責めたかったわけじゃない。安心したかっただけだった。

嫌われないように、居場所を失わないように。言葉遣いも、空気の読み方も、ずっと気を張ってきた人がいます。相手が求めていることはなんとなくわかる。どう振る舞えば嫌われにくいかもわかる。

でもある日、「本当は何がしたいの?」と聞かれて、言葉が出なかった。

好きなものも、嫌なことも、よくわからない。気づけば、”求められる自分”ばかりを生きていた。

ちゃんとやってきた人ほど、起きやすいことがある

こういうことは、特別な人だけに起きるわけではありません。むしろ、ちゃんとやってきた人ほど起きやすいと言えるかもしれません。

家族を支える、空気を読む、期待に応える、迷惑をかけない——それは、その人なりに生きるために必要だった力です。だからこそ、簡単にはやめられません。

役割は、自分を守るために生まれた

人は、大切なものを守るために役割を身につけます。

子どもを傷つけないように。家庭を壊さないように。嫌われないように。見捨てられないように。

最初は、安心して生きるための工夫でした。

けれど不安が強くなると、その役割を守ろうとして、人は周囲や自分を細かく管理するようになることがあります。

失敗しないように。
予定どおりに進むように。
相手が変わらないように。
自分が崩れないように。

本当は誰かを支配したいわけではありません。

その奥には、「これ以上傷つきたくない」「居場所を失いたくない」という切実な思いが隠れていることが少なくありません。

ただ、なかなか現実は思いどおりにはなりませんよね。
だから、さらに頑張り、さらに力が入る。けれど皮肉なことに、安心を求めるほど、心は緊張していく…。

相手の言動が気になる。
予定通りに進まないと不安になる。
ちゃんとできていない自分を許せなくなる。

そうして、本来は自分を守るためだった役割が、少しずつ自分を縛るものへと変わっていくことがあります。

役割を生き続けると、自分の感覚が遠くなる

子ども中心で生きてきた母親が、やっと一人の時間ができたのに、何をしていいかわからない。

「いい人」でい続けた人が、人と会ったあと毎回どっと疲れている。

仕事で評価されている人が、何もしていない時間に、自分には価値がない気がして落ち着かない。

長く気を張って生きてきた人ほど、「安心して休む」という感覚を体が受け入れにくくなっていることがあります。休んでいるはずなのに休まらない、達成しても次の不安がすぐ来る——それは欲深さではなく、安心を受け取る余裕が、体から少なくなっている状態なのかもしれません。

そうやっているうちに、「私はどうしたいんだろう」「何が好きなんだろう」「何を感じているんだろう」という感覚が、少しずつわからなくなっていく…。

気づけば、自分のためではなく、「役割を果たすこと」が当たり前になっていた——そんな人も少なくありません。

本当の意味で「支える」ということ

夫の洗濯物のたたみ方や食器の置き方にまで口を出していた、と気づいたとき、自分でも嫌になったという人がいます。「なんでこんなことをしているんだろう」と。

でも、相手を変えようとしていた気持ちの奥を見ていくと、そこにあったのは「支配したい」という気持ちではありませんでした。ただ、安心したかった。怖かった。見捨てられたくなかった。

相手をコントロールしようとしていたのは、自分の中の不安をなんとかしようとしていたからだった——そう気づいたとき、はじめて「私は何と戦っていたんだろう」という感覚になることもあります。

本当の意味で誰かを支えるということは、相手を思い通りに動かすことではなく、自分の中にある「安心したい」という気持ちにまず気づくことから始まるのかもしれません。相手との関係が変わっていくのは、たいていその後のことです。

「自分を大切にする」の本当の意味

自分を大切にするというと、好きなことをする、無理をしない、自分を優先する——そんなイメージを持つ人もいるかもしれません。

でも本当に難しいのは、「自分は本当はどう感じているのか」に気づくことなのかもしれません。

疲れている、怖い、寂しい、助けてほしい、本当は嫌だった——そういう感覚は、長く頑張ってきた人ほど、感じないようにしていることがあります。感じてしまうと、今までの生き方が揺らぐからです。

「満たされてしまったら、自分は止まってしまう」という怖さを抱えている人もいます。不足感や緊張をエネルギーにして頑張り続けてきた人ほど、満たされない状態の方が、苦しいけれど慣れていて、むしろ安心できることがあるのです。

「役割の奥にいる自分」に気づくこと

“ちゃんとした人”でいること、”支える側”でいること、”迷惑をかけない人”でいること——それは、その人が生き延びるために身につけてきた、大切な役割だったのだと思います。

その役割があったからこそ、家庭を守り、人との関係をつくり、ここまで歩んでくることができた人もたくさんいます。

ただ、長い間その役割を生き続けていると、「役割を果たすこと」が、自分自身よりも優先されるようになることがあります。

「私はどうしたい?」
「私は何を感じている?」
「私は何が好きなんだろう?」

そんな問いに答えようとしても、すぐには言葉が出てこない。

それは、自分がなくなってしまったからではなくて、役割を果たすことに精一杯で、自分の感覚に耳を傾ける時間がほとんどなかっただけなのかもしれません。

だから、自分を取り戻すことは、役割を捨てることではありません。まずは、「役割だけが自分ではないのかもしれない」と気づき始めること。

その小さな気づきが、自分との関係を少しずつ変えていく第一歩になることがあります。

置き去りになっていた「自分」へ

大切なものを守ろうとして、自分を後ろへ置いたまま生きてきた人がいます。

その生き方は、きっと必要だった。だからこそ、簡単には変えられません。

でも、「役割だけが自分ではなかった」と気づき始めたとき、その奥にいた、長い間待ち続けていた自分にも気づくことがあります。

怖かった自分。
寂しかった自分。
助けてほしかった自分。
ただ安心して力を抜きたかった自分。

これまで気づけなかったのは、生きていくために、その声よりも役割を優先せざるを得なかったからです。

もし今、「何か苦しい」「満たされない」「自分がわからない」と感じているなら——その置き去りになっていた自分が、「そろそろ私のことにも気づいてほしい」と静かに伝えているのかもしれません。

役割を否定する必要は全くなくて、その役割を大切にしながら、置き去りになっていた自分にも少しずつ居場所をつくっていくこと。

回復とは、役割を手放すことではなく、役割を生きながらも、自分とのつながりを少しずつ取り戻していく営みなのかもしれません。

この記事を書いた人

上畠 真紀
公認心理師、精神保健福祉士

経験
18年以上のカウンセリング経験(精神科・心療内科)
専門分野
摂食障害、気分障害、トラウマ、対人関係

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