「何がつらいのか、自分でもよくわからない」
「悲しいのか怒っているのか、はっきりしない」
「“大丈夫”と答えるのが当たり前になっている」
そんな感覚に、心当たりはありませんか?
毎日を普通に過ごしている。仕事や家事もしている。人に合わせることもできる。それなのに、ふとしたときにどっと疲れたり、理由もなく苦しくなったりする。
「何かつらいことがあるの?」と聞かれても、うまく答えられない。
そんな方は少なくありません。
これは、「感情がない」ということではありません。
感情は動いていても、それに気づいたり、言葉にしたり、自分の体験として受け取ったりすることが難しくなっている場合があります。
この記事では、「自分の気持ちがわからない」とき、心の中では何が起きているのか、そして、なぜそのような状態になることがあるのかについて考えていきます。

上畠 真紀
公認心理師、精神保健福祉士
経験
18年以上のカウンセリング経験(精神科・心療内科)
専門分野
摂食障害、気分障害、トラウマ、対人関係
「感情がわからない」とは、どういうこと?
「自分の感情がわからない」といっても、その状態は人によって違います。
何も感じていないように思う人もいれば、「なんとなく嫌な感じ」はあるけれど、それが何なのかわからない人もいます。
また、自分が考えていることはたくさん話せるのに、「それで、どんな気持ちだった?」と聞かれた途端、言葉が出なくなる人もいます。
たとえば、職場で理不尽なことを言われたとき。
「仕方ない」
「仕事だから」
「相手も忙しかったんだろう」
と考えて、そのまま仕事を続ける。
自分では、それほど気にしていないつもりだったのに、家に帰るとぐったりする。なぜかイライラする。眠れない。そして後になって、「そういえば、あれは本当は嫌だったのかもしれない」と気づくことも。
感情がなかったのではなく、そのときには自分の感情としてつかめていなかったのです。
感情より先に、「考える」ことが起きることもあります
「そのとき、どんな気持ちでしたか?」
と聞かれて、
「でも、相手にも事情があったと思うんです」
「私も悪かったと思います」
「普通はそれくらい我慢しますよね」
と答える。
これらは「気持ち」というより、その出来事についての「考え」。
もちろん、考えることが悪いわけではありません。こうした考え方が、社会的な場面では役に立つことも多いですよね。
ただ、
「私はどう感じたのか」
より先に、
「相手はどうだったのか」
「自分はどうするべきだったのか」
「一般的にはどう考えるべきなのか」
へ意識が向くことがあります。
また、胸が詰まる、身体が固くなる、呼吸が浅くなる、どっと疲れるなど、身体は反応しているのに、それが「怖い」「悲しい」「腹が立つ」といった感情と結びつかないこともあります。
心理学では、こうした感情への気づきや言語化の難しさを「アレキシサイミア」と呼ぶことがあります。
日本語では「失感情症」と訳されますが、感情そのものを失っているという意味ではありません。
感情は起きていても、それを認識したり、言葉にしたりすることが難しい状態と考えると、わかりやすいでしょう。
なぜ、自分の感情がわからなくなるのでしょう
感情を感じにくくなる背景には、その人がこれまで、人との関係や環境の中でどのように過ごしてきたのかが関係していることがあります。
周囲を読むことが、自分を感じることより大切だった
「今これを言ったら怒られるかな」
「機嫌が悪そうだから、余計なことは言わないでおこう」
「迷惑をかけないようにしよう」
「ちゃんとしていなきゃ」
そんなふうに周囲をよく見ながら過ごしてきた人がいます。
そうした環境では、自分の内側よりも、周りで何が起きているかを察知することの方が大切だったのかもしれません。
その結果、大人になってからも、「相手がどう思っているか」はよく考えるのに、「私はどう感じているのか」はわからない。そんなことが起こることがあります。
自分の感じ方を、そのまま受け取れなかった
自分の感情を理解する力は、人との関わりの中でも育っていきます。
子どもは、怖くて泣いたときに「怖かったね」と受け止めてもらったり、悔しくて怒っているときに「悔しかったんだね」と言ってもらったりしながら、少しずつ自分の感情に名前をつけられるようになっていきます。
反対に、怒ったら否定された。泣いたら困られた。不安を見せたら「考えすぎ」と言われた。そうした経験が重なると、「私が嫌だと思う方がおかしいのかな」「こんなことで傷つくのはおかしいのかな」と、自分の感じ方そのものに自信を持てなくなることがあります。
すると、何かを感じても、感じたものをそのまま受け取る前に打ち消してしまうようになり、それを繰り返しているうちに、自分が最初に何を感じていたのかさえ、わからなくなることがあるのです。
感じないことで、自分を守っていた
中には、感情を感じることそのものが苦しすぎた人もいます。
怖くても逃げられない。寂しくても誰にも頼れない。腹が立っても、それを表したらもっと状況が悪くなる。
そんなときには、感情から少し距離を取ることが、その場をやり過ごすために必要だったのかもしれません。
だから、「もっと感じられるようにならなければ」と急ぐ必要はありません。感じないことで、これまで守られてきたものがあるかもしれないからです。
感情がわからないと、自分の限界にも気づきにくくなってしまう
感情には、自分の状態や必要としているものを知らせる働きがあります。
「嫌だ」「怖い」「寂しい」「もう疲れた」。
そうした感覚に気づけないと、自分の限界にも気づきにくくなります。
本当は疲れているのに仕事を引き受ける。
嫌だったのに「大丈夫です」と答える。
休みたいのに「まだできる」と頑張る。
そして、あるところまで来て突然、
「もう無理!」
となる。
周囲から見ると突然に見えても、心や身体はずっと前から反応していたのかもしれません。
感情は、「嫌だ」だけでなく、「好き」「うれしい」「やってみたい」といった自分の方向性も教えてくれます。そのため、自分の感情を長く後回しにしていると、「何がしたい?」「何が好き?」「本当はどうしたい?」と聞かれても、答えが出てこなくなってしまいます。
周囲の期待に応えることはできる。正解を探すこともできる。でも、自分が何を選びたいのかがわからない。これも、感情との距離が遠くなっているときに起こることがあるのです。
気持ちより先に、行動にあらわれることも
自分が「寂しい」「不安」「もう疲れた」と気づくより先に、何かをしたくなることもあります。
食べる。お酒を飲む。買い物をする。スマートフォンを見続ける。休まず働き続ける——といったことです。
もちろん、こうした行動がすべて感情と関係しているわけではありません。ただ、言葉にならない苦しさを抱えているとき、行動の方が先に、自分を落ち着かせたり、何も感じなくてすむ状態をつくったりしていることがあります。
過食についても、
「なぜ食べたいのかわからない」
「お腹はいっぱいなのに止められない」
というときは、その奥にある苦しさに、自分でもまだ気づいていないことがあります。
→ 「食べることでしか落ち着けなかったあなたへ|過食の奥にあるもの」
「自分の気持ちに気づく」とは、感情を当てることではありません
感情がわからないと、
「これは怒り?」
「悲しいってこと?」
「本当は寂しいのかな?」
と、正解を探したくなることがあります。
でも、正しい名前を当てることより、自分の中で起きていることに少しずつ関心を向けられることの方が大切です。
たとえば、
「この話をしていると、身体はどうなるだろう」
「さっきより少し力が入っているかな」
「呼吸はどうだろう」
と、身体の反応から見てみる。
でも、「身体の感覚もよくわからない」という人もいますよね。それもおかしなことではありません。
その場合には、無理に身体から探す必要もありません。
「何があった?」
「そのとき、どうした?」
「本当はどうしたかった?」
と、出来事や自分の行動からたどってみることもできます。
「悲しかったかどうか」はわからなくても、「本当は、あのとき一人にしてほしくなかった」ならわかるかもしれません。
それでも、何を聞いても「わからない」こともあります。そんなときは、慌てて答えを出さなくても大丈夫。「今は、よくわからないんだな」と、その状態に少しだけとどまってみる。わからないものを、すぐにわかろうとしないことも、自分の体験に向き合う一つの方法です。
感情が見えてくると、むしろ苦しくなることもあるのです
自分の感情に気づけるようになれば、すぐに楽になる。
必ずしも、そうとは限りません。
これまで感じないようにしてきたものが少しずつ見えてくると、
「本当はずっと寂しかった」
「私はあのとき傷ついていた」
「嫌だったのに、ずっと我慢していた」
と気づくことがあります。
以前よりつらくなったように感じることもあるでしょう。
だから、無理に急いで感情を掘り起こす必要はありません。
自分が扱える範囲で少し気づいて、また日常に戻る。
一人では難しければ、誰かとの関係の中で一緒に見ていく。
そうやって、自分の感情と関われる幅を少しずつ広げていくこともできます。
まとめ|「わからない」から始めてもいい
自分の気持ちがわからないと、
「もっと自分と向き合わなければ」
「ちゃんと感情を感じられるようにならなければ」
と思うかもしれません。
でも、感情から距離を取ることが、これまでの自分を守るために必要だった可能性もあります。
だから、無理に正しい感情を見つけなくてもいいのです。
「よくわからないけれど、何かが起きている」
「本当は少し嫌だったのかもしれない」
「今日はいつもより疲れている気がする」
最初は、そのくらいで十分です。
そして、一人ではよくわからないものを、誰かとの関係の中で一緒に見ていくこともできます。
「わからない」を急いでなくすのではなく、「わからない」まま少しそこにいられるようになること。
そこから、自分の感情との関係が少しずつ変わっていくことがあります。
【さらに詳しく】
感情がわからなくなっているとき、その苦しさが「食べること」に向かっている場合があります。過食の背景にある心理については、こちらの記事も参考になるかもしれません。

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